携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 詩人『一色真理さん』との対談

三月号「ピアノの本」掲載前の取材内容を一部紹介します

・泊さんにとって「音楽」とは? また、「ピアノ」とは?

27歳の今の自分にとって この質問は難しく 
交錯する思いが多過ぎて 安易には応えられませんが・・・
音楽を 何かに例えるとしたら 「海」ですね。

音楽は、私の 今までを そしてこれからの人生を 大変な波乱と起伏に富むものにし得ると思っています。
でも音楽って無条件に、素晴らしい・・。

「海上は 日々 波立つ。
でも、海底は どこまでも 深く そして 常に静かなのです。
すべてを 飲込むほどの 大きさと広さの中に 無限の悟りと力を秘める。」

音楽を続ける私の日常は 自分でも予想さえしないような事に出会い 
喜怒哀楽に満ち、不安定で 平穏とは程遠いものがあります。  

でも その「海」を 何とか前へと進み、私と共に乗り越えようとしてくれる 
まるで「船」のようなもの 
それが 私にとってのピアノでしょうか・・?


・将来、どんなピアニストを目指していきたいですか?

作品を深く勉強した後に 真の 情愛、温もり、喜び、悲しみ、痛み、怒り、毒、蘞み、
魂の根源・・
人間のあらゆる感情の断層を描ける 音の魔術師のようなものを 目指したい。  

(子供時代)
・泊さんのご家庭は、音楽とのかかわりという点では、どんなご家庭だったのでしょ
うか?

私の家系で、音楽に関わる者は一人もいません。
両親をはじめ 親戚一同 クラッシック音楽は、観た事も聴いた事もないと言っていい程、
興味の無い人ばかりで、私だけが クラッシック音楽に携わっているという感じです。

・ピアノレッスンを始めたきっかけは?

ジャズダンスやバレエ、お習字、スイミングスクール、英会話や音楽学園等、
お稽古事のひとつとして始めました。 

・小学生くらいまでの子供時代、どんな子供でしたか? ピアノ以外の勉強や遊び、スポーツ、趣味などはどうでしたか?

子供時代は よく遊び よく学び 大体はクラスで 一番賑やかな 中心的な存在だったと思います。
今の私からは 想像つかない程!凄く素直で(笑)人の言う事もよく聞き 何でも頑張っていた気がします。
小、中、高校どの時も 学校が大好きで 色々な楽しい思い出の詰ったかけがえのない場所でした。

・当時の発表会のエピソードなどで印象に残っていることはありますか?

学生時代の全てを通し 毎月のように(月に二度位は)何かしらの演奏で 
舞台に立っていたように思います。
子供の頃から、日常とは違う緊張感が走る舞台へ出て行く 独特なスリルが 嫌いではなかったし、
(練習は苦手でしたが。)
むしろ、レッスン等で 近くで見られている恥ずかしさから開放され 
のびのびと自由に表現出来るひとり舞台が好きでした。
   

・子どもの頃、音楽家以外でなりたいと思った職業はありますか?

バレエのプリマドンナ、女優、ミュージカルの主人公、宝塚ジェンヌ等。
何でもいいから 主人公が良かった。

今は「保育士」や「お母さん」。

子供と関れる時の自分が一番好きになれるので・・。


(学生時代)
・十代になると、勉強や部活などでピアノから離れる人も出てきます。この時期、泊さんはどんなふうにピアノと向き合っておられたのでしょうか?

中学生までは 外に出たら学校と友達、家に帰ったら お稽古事とピアノ!という
メリハリのある楽しく充実した日々を満喫していましたが 普通高校に通ってからは 正直悩みました。

毎月のように東京へレッスンに通い、中間試験や期末試験の間でも 
東京で行われるコンクールに出なければならなかったり・・

本当に忙し過ぎて 学生生活が自由に謳歌出来ず、
音楽高校を選択すべきだったのでは、と度々思いました。

でも今になって考えてみると 周囲に音楽関係の友達や先生が 一人もいなかった事が、
逆に私の音楽面は常に自由が保たれ、
精神面では友達に救われていたスタンスで良かったのだと思えます。

ピアノも学生生活も 深く考える暇なく 前へ前へ。

目前の課題を 何とかクリアしていく・・その繰り返しで あっという間に過ぎた時間でした。

・小学生の頃から現在まで、泊さんは沢山のコンクールに出場され、優れた成績を残
しておられます。泊さんにとって、コンクールとはどのような場でしたか?

コンクールの結果で一喜一憂した事は 一度もありません。
ただ、どんな時も一生懸命、心を込めて 自分が感じるままにエンジョイしてきたと言い切れます。

すべては 長い人生の通過点に過ぎない。
目的なくして努力が出来ない私だからこそ コンクール等で はっきりとした目標が与えられ 
ひたむきに頑張る課題を自分に課すことで 

知らず知らずのうちに 作品を凝視する眼や 
そこへ向かう強い精神力、根性を学んできたように思います。

コンクールは 比較される為の場ではなく、
作品や自分自身を育てる為の チャンスを頂ける場所ではないかと思います。
 
・また、コンクールで印象に残った思い出はありますか?

いつでも、度素人で身体の弱い母親の方が 私以上に緊張していたので 
本番前は子供の私が 母を励ましながら 舞台に出て行ってました(笑)。 

ただどんな時でも陰で、私の為に神社へ御参りに行き、
何かある度に手を合わせ 祈ってくれていた姿だけは忘れられません。


(コンサート活動)
・ピアニストとしてコンサート活動を始められたのはいつ頃からですか? 
デビューコンサートの思い出、エピソード等はありますか?

2003年 第72回日本音楽コンクールで優勝を頂いた直後から、
ゲストやソリストとして演奏させて頂く機会を 多々与えて頂けるようになりました。

それまでは コンクールの場や 入賞者披露演奏会等でステージに立っていたのが 
明らかに メインソリストとして 今までと違った責任を背負い始めました。

正直 私にとって いつがデビューなのかはわかりません。
5歳で初めて 発表会に出た時かな?

多分30回に1度位の割合でしょうか、自分の中で、
客観と主観の狭間を 絶妙に保つ集中力を張り、
ホールの空間、ピアノの力、聴衆、作品 その何もかもが一体化した 
奇跡のような満足を得られる事があります。

この瞬間は 言いようの無い至福の時です。

でも ほとんどは、演奏会が無事に終了したとしても 自身の中では 
次への課題の交錯で頭がいっぱいです。

すべての演奏会が 諸手を挙げて 完璧!と言えるような本番ばかりだったら、
ピアニストという職業は この上なく幸福な仕事かも知れませんが 

奥が深く 答えのない作品を前に、音楽という空間芸術を追求し続けるのは 
とても厳しい事だと思っています。 


・これまでのコンサートで特に思い出に残っているものがあれば、エピソードと共に
教えてください。

「逆境こそが与える奇跡。不思議・・」と言っていい本番が 一度ありました。

2004年、大阪のいずみホールでの演奏でしたが、
その時私は 肉体的 精神的に極限状態に追い込まれており、
視界がぼやけて鍵盤が見えず、息を吸う事さえ苦しいような状態で過ごしていた時期でした。

何週間も寝込み、視界から色が消え 人生で初めて味わった地獄のような状態を抱えての舞台は むしろ、日常と非日常(ステージ)が入れ替わり、怖いもの等なくなり、ピアノに吸い寄せられるように笑顔でステージへ出て行きました。

すべてを悟った別の自分がいるようで 
物凄く不思議な感覚と共に異常な落ち着きと緊張感を持って演奏出来た記憶があります。
 
健康の事を考えると こんな事ばかりは当然 続けられませんが、

でも「不条理」「非尋常」こそが生む独特の表現の世界の存在を 我が身を通し体験しました。
幸か 不幸か、今のところ その一度きりです。

by mamikotone | 2008-01-02 22:34 | CD・雑誌・ラジオ

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Pianist Mamiko Tomari 
泊 真美子
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